私たちについて
創業から半世紀、信頼と創造力で歩み続ける。
企業理念
パーパスPurpose
生活者起点で、お客さまとの信頼を力に
新しい価値を創造する。
私たちは、企業の先にいる"生活者"の視点を出発点に、
創業以来培ってきた信頼と実績をもとに、
お客さまのパートナーとして新たな価値を社会に届け続ける。
社員とともに成長し、価値を創造し続ける企業でありたい。
ビジョンVision
生活者理解を強みに挑戦を続け、社員の成長と誇りを育み、
社会・株主・お客さまに価値を還元し続ける持続的な企業へ。
バリューValues
提供価値(3つのS)は「私たちがどう考え、どう動くべきか」を示す行動指針です。
Speed
生活者の変化をいち早く捉え、機動力を活かし迅速かつ柔軟に応える
Superiority
生活者の心に響く、本質的で高品質なコミュニケーションを追求する
Satisfaction
生活者とお客さま双方の満足を最大化し、価値ある成果へとつなげる
「三友」の由来
株式会社三友エージェンシーの「三友」とは、実は三井の「三」と住友の「友」を頂いて命名したものです。
当社創業者の益田泰子は「鈍翁」益田孝の曾孫です。益田孝は旧三井物産の初代社長であり、三井財閥の大番頭でした。まずは益田孝についてお話しします。
益田孝は嘉永元年(1848)、佐渡島、相川の役人の家で生まれました。才を認められた父・鷹之助に伴い江戸に出た孝は幕臣となり、「支配通弁御用出役」となって麻布善福寺のアメリカ公使館に勤務します。そこで生きた英語を学び、初代公使のハリスに接して大きな影響を受けました。
文久3年(1863)に遣仏使節・池田筑後守の随員となった父・鷹之助の従者として初めて渡欧。ヨーロッパの進んだ文明、とりわけ港に整然と並ぶ軍艦に深い感銘を受けます。明治維新後は商売を始め、その才を認められて、アメリカのウォルシュ・ホール商会のクラークに迎えられます。その後、井上馨と知り合い大蔵省に入省。貨幣の切り替えにともなう金貨鋳造に取り組んだ後、井上の下野とともに「先収会社」の創立に参加しました。
そして明治9年(1876)、三井物産会社(旧三井物産)を設立します。世界で通用する日本の貿易会社:「商社」を作り上げていきます。そして中外物価新報(現・日本経済新聞社)もこの年12月、益田孝が設立しました。明治21年(1888)、悲願であった三池炭鉱の入手(工部省鉱山寮から払い下げ)に成功、翌年1月に「三池炭鉱社」(三井鉱山の前身)を設立しました。この三池炭鉱の石炭は、旧三井物産が飛躍的発展を遂げた最大の要因といわれています。石炭の市場を上海、香港、シンガポールなどに拡大していきました。
明治後期には、日本の主要な輸出品であった石炭、米、綿糸、綿布、生糸をはじめ、300余りの品種を扱い、当時の日本の貿易総額のほぼ2割(約2億円)を占めるほどでした。また、三池炭鉱とあわせて得たのが、團琢磨です。二人は後に三井合名・三井グループの舵取りをしていきます。三井グループ各社の設立には、益田孝と團琢磨が数多く関わっていました。
また益田孝は茶人「鈍翁」として、そして卓越した古美術蒐集家としても知られています。明治時代、日本は西洋文明には熱心でしたが、伝統文化や古美術の保護の政策は無に等しかったと言えます。そんな中、海外に流出する仏教美術を救うなど、日本美術の保護に大きな役割を果たしました。
太平洋戦争末期、米軍は小田原の早雲台益田邸を絶対空襲しなかった程、そのコレクションは世界にも知られる卓越したものでした。
さて、「三」と「友」の話しです。当社創業者の益田泰子の父:益田智信は益田孝の孫ですが、益田泰子の母:倭子(しずこ)は三井家より嫁いできました。益田倭子の父(益田泰子の祖父)は三井守之介高泰(旧三井物産5代目社長)です。そして益田倭子の母(益田泰子の祖母)は、第12代住友吉左衛門の娘:楢光(ならみつ)でした。明治の時代において三井、住友両家はともに手を携えて日本の発展に尽くしてきた歴史があったのです。その歴史が、現在の三井住友グループに繋がっています。このように、当社のバックボーンには、三井、住友、益田の血が流れているのです。