 |
 |
私は祖々父の益田孝と似て大声の持ち主です。祖々父がそうであったように、何時も忙しく動き回っては社員に大喝を飛ばしております。時に閉口されもしますが、これもみんな私の仕事に対する熱意の裏返しでございます。お客さまにも仕事仲間にも、もちろん社員にも、そのことは分かっていただいているようで、ありがたいことです。お陰様で三友エージェンシーは、2005年に創立40周年を迎えました。この間、私どもは三井住友グループ企業のコミュニケーション活動のお手伝いに邁進してまいりました。長いお付き合いをさせていただけますのは、私どもの仕事に対する熱意をお汲み取りいただき、信頼をお寄せいただいた証でもあろうかと、心底より嬉しく思っております。
この場を拝借して皆さまのご愛顧に深く感謝申し上げます。私には、自分でも抗いきれない「思い入れ」というものがございます。それは、私自身の三井・住友両家との浅からぬ血縁からくるもので、クライアントの皆さまや日本経済新聞社といったグループ企業に対する身内意識と申しますか、人一倍強い親近感のことであります。その強い思い入れが、いつも「いい仕事をしたい、いい仕事をしなければ」、と自らをかき立てる原動力となってきました。その意味で、広告会社の仕事はまさに私の天職とも言えるもので、グループ各社の発展を誰よりも喜びとする私の性分を、これほど満たしてくれる仕事もありません。そんな感慨を改めて噛みしめております。40周年は一つの区切りに過ぎません。皆さまとは、これからも末長く深いお付き合いをさせていただきたい・・・そう願う気持ちは、ますます強まるばかりです。そのための熱意と誠意が色褪せることはありません。この確信は、私が自負し誇りとするところです。どうか、これからも一層お引き立てのほどを、よろしくお願い申し上げます。
|
「耳にたこができた」と言われる方もおられるでしょうが、いま少し私のお喋りにお付き合い下さい三友エージェンシーの「三友」とは、元々三井の「三」と住友の「友」をとって命名したものです。それが、2001年の三井住友銀行誕生に伴って、名実ともに三井住友グループの友という広がりに結実しましたのは、私の望外の喜びとするところです。私の祖々父は、三井物産の初代社長、益田孝です。「鈍翁」と名乗って、日本の近代化ばかりでなく、日本文化の継承と蘇生にも力を尽くしました。日本経済新聞の前身となる「中外物価新報」を発刊したのもこの祖々父です。一方、私の母方の祖母は、第12代住友吉左衛門の二女、楢光で、三井守之介高泰(三井物産5代目社長)に嫁ぎました。明治の時代において、既に三井、住友両家はともに手を携えて日本の発展に尽くした歴史があるのです。その歴史が、現在の三井住友グループに流れているわけですから、そうした大きな因縁の中で仕事をしているという実感は、いつも私のこころに強くあり離れないのです。
|
|
| デジタルネットワーク社会の中にあって、今さら何を系譜を紐どいて?と訝る向きもおありでしょう。しかし、歴史は未来を映す鏡とも言います。世界の潮流や日本の現状に目を向ければ私たちの求める時代の姿とは決して言えないでしょう。こんな時代に、私たち広告というコミュニケーションワークに携わる者にとって、私たちの仕事とは、人と人を繋ぐ架け橋であることを改めて想起する必要があると思うのです。人の心に響かなくては、創造的なコミュニケーション活動とは言えません。クライアントを最もよく理解し、その輝かしい未来に向けて、クライアントのニーズに合ったサクセスストーリーを創り上げていくことが私たちの役割であり、またこの上ない喜びであることをここに改めて申し上げたいと思います。私たち三友エージェンシーを最も近い、最も心を許せる信頼し得る存在と思って頂き、幾久しくご愛顧いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
|